子供は大人の言葉で苦しむべきじゃない


少年野球の現場にいると、子供に罵声を浴びせる大人たちの光景をよく見かけます。

ていうかほぼ罵声です。笑


もうそもそもがおかしな話なんですが、それでも話を聞いてみると怒鳴っている大人たちには彼らなりの哲学があるようです。


それは



・怒られることで反骨心を育てる。


・世の中は理不尽なことだらけだから小さい時から教える必要がある。


・自分たちもそうやって怒られて強くなってきた。



と言うもの。この考え方については私も理解はできます。

なぜなら、自分もそういう環境の中で育ってきたし5年ほど前までは実際にそう思っていたから。

けどそれって実際は自分の経験を無理やり意味のあることだったかのように思い込んでいるだけでした。

だってもし怒鳴られたり殴られたり(今はあまりない)したことに意味がないと言ってしまえば、それはただの怒鳴られ損、殴られ損ってことになりますからね。笑


僕は先日フィンランドのヘルシンキで、フィンランド流教育を世界に広める活動をしている友人と話をしてきました。

今現在、フィンランドの教育は世界一だと言われていて、先日の世界の国別幸福度ランキングでも1位として名前が挙がっていた国です。

その友人はフィンランド人なんですけど、現在中国や韓国といったアジア圏で主に主に活動をしているそうです。

中国や韓国の主な教育方法は日本と同じでトップダウン方式。つまり、パワー(権力)のある大人が子供たちに向かって上から指示を出すというものです。




「〜をしてはダメ」
「〜しなさい」




という言葉が出てくるのが特徴です。

この教育方法の最大の欠点は、子供たちの自発性と思考力が失われると言うことにあると彼は言います。

子供たちの頭の中で、なぜそれをしてはダメだと言われているのかは理解することができず、大人に怒られるからしない。怖いから自分を抑えるようになっていきます。


そうすると、

「〜をするとこういうことが起きて、その結果自分が怪我をしてしまうからしてはダメなんだ」


といった本質的な部分を考える機会がないために、子供たちは考えることをストップしてしまいます。その結果、理由も考えずに与えられた決まりだけ守るマニュアル機械人間がめでたく完成します♪(´ε` )笑


でも笑い事ではなくて、これが日本社会の現状だと思います。日本人は「勤勉」なのではなく、上の言うことは絶対で自分を犠牲にして組織に従事することが小さい時から頭と体に染み込まされているんです。


戦後の何もなかった時代。少しの機械とそれを動かす多くの人々を使って大量生産をしたことで日本は経済的に大きな発展を遂げました。その時代においては、上に言われたことをきちんと守り余計なことは考えずにひたむきに働くことが要求されていましたし、それができる人が評価されていました。まあそれも実際は政府や社会における上位層によるコントロールと言えますが…


それでは今の物が溢れかえっている世の中ではどうでしょうか。


インターネットが普及し、スマホ、LINEやFaceBookといった画期的なアプリがものすごいスピードで日々生み出されています。それらは全て画期的な発想から来ています。ただ物をたくさん作ればいい世の中は終わって、今は新しい価値のあるサービスを生み出す力が求められています。


ということは、教育の現場も当然変化しなければなりません。


イノベーションは自由な発想想像力からもたらされます。子供のうちからきつい言葉で押さえつけて考えることをストップさせてしまうことで彼らの将来的な活躍を奪ってしまうことになるのは明らかです。

だからこそ私たち大人が自分の指導を見直し、子供達が将来的に活躍できる環境を作るために努力する必要があります。


ここまでは時代や社会の流れを考えた上で指導法を見直す必要性について述べてきましたが


私は至ってシンプルに、罵声を浴びせることで




子供達の「好き」を奪うな!





と思っています。子供達に「苦難」とか「試練」を乗り越えさせて成長してほしいという感情。

これ自体は素晴らしい考え方だと思います。苦難や試練を子供達が自らの力で乗り越えることで成功体験をし、自信を持つことができる。さらにはその先の人生において苦難に直面しても過去の経験から乗り越えられると考え努力できる。


しかし多くの大人たちは「苦難」や「試練」を勘違いしているように思います。


子供達にとって必要な苦難は自発的な行動の先になければなりません。それを厳しい言葉を投げつけることで無理やり大人が苦難を与える(与えた気になる)のは間違いです。


できないことや失敗したことを怒られて(苦難)、怒られないために頑張る。


のではなく、


野球が好きだからもっと上手くなりたいけど思うようなプレーができない(苦難)→自分の思うプレーができるように工夫する(努力する)


という形であるべきだということです。

上と下の例では成長のスピードは段違いですし、何よりも自分の理想を追い求める時に人は頭を使って工夫するので自然と想像力や発想力が養われていきます。ここにフィンランドの教育法と重なるところがあると思います。


子供達の「好き」や探究心(もしくはその機会)を奪う権利は誰にもありません。


彼らの心の中から自発的に努力できるような環境を作ってあげてほしいと思いますし、私もその方法についてもっともっと勉強していきたいと思います。


余談ですが、現在世界で最もレベルの高いアメリカの野球。野球人気は未だにすごいものがあり、世界一の座を守り続けているのには何か秘密があるに違いない。

その教育現場や指導法について非常に興味があるので実際に現地に行って調査してみたいと思っています。

もし可能であれば、アメリカから指導者を日本に招待して講演会なんかも企画できたらいいなと思っています。実現に向けて頑張ります^^


それでは本日はこれで失礼します!







Twelve O 2

岡山出身の23歳の2人の運営するブログ。 仕事から趣味まで、幅広く発信します。

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