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マニラ旅リポートです!
このフィリピンという国。
日本ではバナナというイメージが強く、国自体のことはあまり詳しくは知らないという人が多いかもしれません。
しかし、現在のフィリピン共和国ができるまでには壮絶な闘いを乗り越えてきた歴史があり、その傷跡が街の節々に残っている地域です。
フィリピンの歴史を語る上で外せないのが、1521年、フェルディナンド・マゼランが率いるスペイン船団がやってきた事でしょう。
マゼランといえば、大航海時代の先駆けとして初めて世界周航を達成した人物として有名です。
しかし実際は、マゼラン本人は旅の途中で戦死し、生き残った彼の部下達がその後の世界周航を成し遂げました。
このマゼランが戦死した舞台こそが、現在のフィリピン共和国にあるマクタン島なのです。
当時、彼らは武力によって領土を広げ、キリスト教への改宗やスペイン王国への忠誠を誓わせる事で各地を服従させて回っていました。
フィリピンにおいても、大砲や軍艦などの欧米の優れた武力によって次々と部族を制圧していきました。
そんな中、1人の部族長「ラプ=ラプ」がスペインの要求を拒絶。
これに怒ったマゼランは軍を率いて制圧に向かいます。当然、軍艦に大砲・鎧をまとったマゼラン船団が圧倒的有利かのように思えました。
しかし、マクタン島の地理を誰よりも詳しく知っている「ラプ=ラプ」は
決戦の舞台を遠浅の海岸にしたのです。
意気揚々と指定された場所にやってきたマゼラン船団。
しかし突如として潮が引き、浅瀬に船底を取られ大砲が届かないほどの遠い位置から船を動かせなくなり、とうとう船を降りて歩いて進んできました。
マゼラン軍は、立派な鎧で全身を固めていましたが水場ではそれが重りとなり、戦況は軽装が功を奏したラプ=ラプ軍に有利に働きました。
そして結局マゼランはここで命を落とすこととなり、ラプ=ラプはその頃の東南アジアで初めて欧米の軍に勝利したリーダーとして後世に伝えられています。
おそらく、普通に闘っていたらスペインの圧勝だったでしょう。しかし、ラプラプは自らの経験と知識から相手の弱点を見つけ出し、自分達の誇りを守りました。
マクタン島内には、このラプ=ラプの偉業を称えた大きな像が建てられており、フィリピンの英雄の1人と言われています。
しかし、その後もスペインはフィリピンに攻撃を続け、とうとうスペイン領としての宣言を受け入れることになります。
この統治は、1898年の対スペイン軍との闘いに勝利するまでずっと続きました。
この戦争を支持したのが、米西戦争でスペインと対立していたアメリカです。
アメリカはフィリピンの反乱軍に対して独立を約束する事を見返りに、この闘いの共闘を要請。フィリピン軍は当然これを受け入れ、勝利を手にしました。
しかし、アメリカはこの約束を破り、2000万ドルを支払う事でフィリピンを譲り受ける事に。。。
これに怒ったフィリピン革命家達はアメリカに対して戦争を起こす事を決意。
しかし、アメリカ軍に鎮圧され、中々独立の兆しが見えない状態が続いていました。
その後アメリカは、フィリピンに対して将来的な独立を約束。自治法などを整備します。
この頃には英語の公教育が行われ、今のフィリピンの英語力の高さにもつながっていると言えるでしょう。
こうして1934年にフィリピン独立法が可決。1946年までの独立が約束される事に。
しかし、フィリピンにはまだまだ苦難が待ち受けていました。
太平洋戦争が勃発し、1942年に日本軍によってマニラが制圧。大国同士の闘いに巻き込まれ
る形になります。
1945年に日本がアメリカに敗戦。これにより、ようやくフィリピン共和国として独立を果たす事になります。
ここまでざっと歴史を書いただけでも壮絶な過去、悲しい歴史を乗り越えて成立した国だという事がわかります。
こうした歴史から、マニラではスペイン統治時代の洋風建築やアメリカ文化が入り混じった特殊な街の雰囲気を醸し出しています。
こちら、マニラ市内にあるサンチャゴ要塞
先ほど出てきたスペイン統治時代に活躍した要塞になります!
ここはかつて、マニラで最も重要な防衛の拠点として利用されていました。
現在はラプ=ラプと並ぶフィリピンの英雄の一人、ホセ・リサールに関する記念館がある公園となっています。
16 世紀に建設されたサンチャゴ要塞では、マニラでの軍隊の歴史、フィリピンの歴史を知る上で重要な出来事が記されています。
サンチャゴ要塞は、スペイン占領以前に建てられました。しかし、度重なる紛争や抗争によって、何度も破壊されてきましたが、その都度補強や修繕を繰り返し、現在の形になったと言われています。
サンチャゴ要塞からは、パシッグ川の河口に向けた景色を一望できます。
いや〜キレイな眺めでした!(川の水は汚いですが。笑)
この巨大なサンチャゴ要塞は、軍事拠点や刑務所など、これまでに様々な用途に使用されてきました。
中でも第二次世界大戦期には、多くの捕虜が地下牢や水牢で拷問を受けたり、殺害されたりという記録が残っており、戦争の悲惨さを物語る建物となっています。
それからもう少しサンチャゴ要塞の中を進んでいくと、人気のないところに何やらアメリカのニューヨークの自由の女神像を彷彿とさせるモニュメント!?がありました。
製作途中に見えましたが、もしかしてこれで完成なんでしょうか?
材質もプラスチックのようなチープ感が否めないものでしたが一体なんだったのでしょうか。笑
アメリカの象徴とも言える自由の女神像をこういう形で表すことによって何かアメリカ統治時代のことを表現しているようにも見えました。
こうしていろいろな想像をしながら各地の歴史を巡ることも旅の醍醐味と言えるかもしれませんね。
あまり観光地として有名とはいえないマニラですが、楽しめるところはたくさんあります!
また次回もマニラ旅の様子をリポートしていきたいと思います!
また次回^^
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