僕が初めて訪れた海外の国、ケニア共和国。
野生のカバを見たいがために訪れました。
首都ナイロビから北西にバスで2時間半ほど行ったところにあるKigio Wild Conservancyという野生動物保護区のサバンナど真ん中のキャンプロッジでの生活。
そこでは、ヨーロッパを中心として世界中から野生動物保護活動をするために集まったボランティアメンバーとともに共同で暮らしました。
初めての海外渡航。
当時の僕は生まれてこの方、外国の人とまともに喋ったこともなく、英語は1番の苦手科目。
全く喋れないにも関わらず
「まあ身振り手振りでなんとかなるやろ!」
と思っていたので、渡航前にはあまり不安を感じること無く旅立ちました。
ところが行ってびっくり。
僕が現地に到着した時には、イギリス、フランス、ドイツ、チェコ、スイス、カナダ、アメリカから来ていたボランティアメンバー16人がすでに活動中。
当然ですがキャンプ内での公用語は英語。
(おい、こんなにぎょーさんメンバーおるんかい…)
さらには男性の人数が優勢かと思いきや、16人中14人が女性。
日本人どころかアジア人が一人もいない。超アウェー。
(死んだ…)
本気でそう思いました。
それでも一応全員に一人ずつ自己紹介。
「>✳︎#@◯?+#¥✳︎□▶︎!!」
…ふぁ!?
自己紹介って普通 Nice to meet you じゃねん!
なんか変なこといろいろ言うたぞおい!て感じ。
もう緊張やら何やらで、はっきり言って1単語も聞き取れませんでした。笑
(ここで後2ヶ月も暮らさないとダメなのか。。)
今まで感じてなかった不安がドッと押し寄せてきました。
そんな不安の中、僕のケニアでの野生動物保護プロジェクトはスタートしました。
このプロジェクトの主な活動は、絶滅の危機にあるロスチャイルドキリンの出産を成功させるために彼らの生活環境を整えること。
月〜金までの5日間で働き、週末はメンバーと一緒にナイロビやナクルといった街に観光に出かけるというスケジュールでした。
週末の観光といっても英語が全く喋れない私はメンバーについて行ってはお姉様方に言われたように動くだけの足手まとい。
それでも嫌な顔1つせずに僕を誘ってくれ、いつも話しかけてくれていました。涙
そんな中、私たちに事件が起こります。
ナイロビのナイトクラブで深夜1時まで飲み明かした後、ホテルに帰ろうとドイツ人の女の子2人とタクシーへ。
行き先を告げ、タクシーが走り出し、進むこと10分。
お酒もまわり、フワフワ〜っとしていた時でした。
一緒に乗っていたJulia姉さんが一言。
「Where are you going…?」
タクシードライバーは何も答えず無言で街とは反対側の暗闇に車を進めていきます。
やばい!拉致られる!!と思いました。
「Stop the car!! Open the door!!」
Julia姉さんとJennieちゃんの怒声がドライバーに浴びせられます。
「……」
無言を決め込むタクシードライバー。
パニックになる車内。
人の気配がなくなっていく道路。
戦力外のJoseph。
その時、
Julia姉さんから僕に
ドアを蹴って開けろ!!
のジェスチャーが!!!
帽子のつばを優しく触り、了解!の意思表示。
「ドンッ!!」
「スタッ」
ドアを思いっきり蹴飛ばし、ぶっ壊してみんなで一気に外に飛び降りました。
「Run!! Run!!」
幸い車は細い道をゆっくり走っていたのでタクシーはダッシュで逃げる僕たちを追いかけることはできず何とか命拾い。
そこからは自分たちの足で光の見える方へ向かい、街の中心部までどうにかたどり着くことができました。
本当に危なかったと思います。なめてました。
何のスキルもないくせによくもまあ行ったなと思います。
ドイツ人の彼女らがいなかったらどうなっていたんだろう。
考えてみただけでゾッとします。。
それから英語が喋れないことで何の力にもなれない。
いざという時に誰のことも守ってあげれなかった。
それどころか女の子二人に守ってもらったという事実。
一人の男としてとてつもない惨めさと不甲斐なさを感じた苦い経験になりました。
よくネットの海外旅行体験談などで、治安の悪いと言われる地域に行って
「意外に安全だったよ」
「何もなかったよ」
とか書いてあるのを見かけますが、
それはその人がたまたま運良く何にも巻き込まれなかっただけで、決してその地域の安全性を示すことのできるものではないということが身をもってわかりました。
今回は大丈夫でも、次に行ったら何が起こるかわかりません。
そういう地域に行くなら安全なツアーに参加するか、それなりの覚悟とスキルを持ち合わせてから行くべきだと僕は思います。
とまあそんな形でいきなり1週間目の週末にそんな危険な目にあった僕ですがケニアでの生活はまだまだ続いていきます。
超超カルチャーショックで日本への帰りたさ満点の1週間を過ごしたJoseph。
そんな僕が残りの7週間をどう過ごして乗り越えていったのか。
続きはまた別の機会に書こうと思います。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
また明日^^
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